ナマステ〜。花屋さんでバイトしました。

ナマステ〜。花屋さんでバイトしました。

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ネパール カトマンズ近郊の震災から2週間が過ぎました。ほとんど毎日ガイドのチャプテやできればサンタと交信していますが、
彼らの話では、「カトマンズはもちろん倒壊したうちがたくさんあるけど、自分の村にもありますよ。学校がつぶれたよ、でも知り合いは元気だったからよかった。食事は大丈夫です、自分でできるよ。サンタも大丈夫(チャプテとの会話で)、うちも大丈夫です。将来は、わからないね、お客さんが(海外)くるかどうか。へへへ。」自分の目で確認していないので私にはネパールの現実がわかりません。
彼らネパール人と私のような彼らからすると温室育ちのものの感覚も違うし、ただ、心の芯となるものは同じじゃないかなあと思っていますが、どうなんだろう…。あまりガイド達は苦労を口にださないので、ほんとうに大丈夫なのかどうか交信しながら探っていますが、
新聞やニュースでの画像だけをみると最悪に思えます。あちらこちらで支援金活動も始まっていることを伝えると、「どこに行くかわからないよ。へへへ。」って返ってきました。悲しいじゃないですか、不安定な政治で今まで何度も同じ繰り返しできた結果、海外からの支援金にも疑問どころか期待が薄いところもあるようです。「まほさん、政府に渡してはポケットにいくからね。直接がいいです。」と言われました。 私には政府に渡す大きなお金なんてないですよ〜、心配しないでください。

こんな会話ですが、食料品が便乗値上げで困っているようでした。だからと言って、一度も助けてくださいとも言われていません。

また、別で通訳のボランティアをしているネパール人の方からは
「テントが足りないと言ってるけど、これからの雨季にテントで間に合わない。」
と言われ、日本の仮設住宅を造れば、しばらくは生活できるのでは?
と話すと、「ここは日本じゃないねん。ネパールや。来たらわかる。」って怒られました。

支援金ですぐに仮設住宅はできないのか。この先の雨季、夏からすぐに来る
朝晩の冷え込む季節に、テントは無駄にならないのでしょうか?

畳の上で座って考えてても、わかるはずがないですよね。

後者のネパール人からの言葉にグサリときたので、花屋さんで母の日のカーネーションワゴンセールがあり、店頭でお手伝い
してきました。(初めての経験です)
大きな声でお客さんの呼び込みや、人の多さと炎天下が重なり
この私にはきつかったです。頂いた報酬は少ないけど行き先は決めています。